Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
守るべき国境線が長い内陸国は、周辺諸国との外交関係が重要ですが、魏には一貫した戦略のようなものが感じられませんね。強かった時に、見境なく周辺国を攻撃して恨みを買ってしまった感じで、その割に他国を滅ぼして吸収した感もないですね。結果論で言うなら、他の周辺国と友好関係を保ちつつ、敵を秦一国に定めて西を取ってしまえば、天下は魏のものだったかも。優れた人材の流出も痛かったですが、これも偶然と言うより、優れた人物を登用できなかった国のシステムの問題だったんでしょう。
アッシリア帝国は重税や圧政はもちろんの事、一番は強制移住により支配民や周辺国から反感どころか強い怨みを買い、結果的に新バビロニア率いる反アッシリア連合軍に滅ばされてしまいます。後のハプスブルク家同様典型的な力だけの支配ですね。
正当性もないのに雑にウクライナに侵略して逆にNATO加盟国が増えたロシアみたい
魏は呉起、商鞅、范雎と有能な人材を他国に流出させるというミスもしているからなあ……
なお名君の文侯も讒言を信じて西門豹が辞任してしまうという😭武侯も同じように呉起が😭
負けた側は何もかも失敗したことにされる
秦は辺境国なので他国の人間への警戒心は強そうなのに何度も他国出身者を宰相にして成功しているのは、君主が有能だっただけでなく君主のトップダウンで決定できる国だということも示している。そのため比較的中央集権的な改革を実行しやすかった秦に対して、魏のように地方の自主性が強い国ではたとえ重用されても商鞅のような政策は成功しなかったかもしれない
やっぱ魏の恵王いいよなぁ…この野望と資質が全く釣り合わないが故に敗北を運命付けられてるにもかかわらず、野望の成就を目指さずにはいられない感じがたまらん、ジョン王(内政除く)かよ
今回も面白かったです!魏と楚はポテンシャルはあるのに名臣を扱い切れなかった残念国家というイメージがあるなあ。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、有り難きことこの上ありませぬ!ご厚意痛み入ります!!!
開発の進んだ地域を領有し人口でも生産力でも人材でも他国を圧倒した魏。ただこれは逆に言えば周辺諸国と比べて伸びしろが少ないという事でもあります。加えて周囲を他国に囲まれ全方位に脅威を抱える事にもなっています。実際趙や斉、楚が発展したり軍制改革を実現して来ると一気に守勢に追い込まれています。
魏恵王「ねぇねぇ?斉王ちゃんはどんなお宝持ってんの〜??」斉威王「いや自分はそんな大層なもの持ってないですよ」魏恵王「またまた謙遜しちゃって〜。ボクですらマイカー12台を照らせちゃう宝石持ってるんだから天下の斉王サマならなんかあるでしょ〜?」斉威王「どうやら貴方と私の考える宝物は違うみたいですね…。そこにいる私の家臣を御覧なさい。彼らの能力は千里を照らします。ましてやマイカー12台程度など」魏恵王「……(赤面)」ホントこの逸話好き
魏には旅行好き、国際派な人材が豊富だったんだなぁ。(帰郷するとは言っていない)
変なかたちの魏。平面地図を見てるとわかりにくいですが、地形もわかる地図(色分けされた地図帳や、ちょっと良い立体的な地球儀など)で見ると理解が早い。天然の要害と言いますか…山脈や河、盆地などであの奇妙な形に出来上がっていますね。もちろん武力に物を言わせれば制覇できなくもないですが、韓も魏も都市国家群が武力も経済力も持っていたということは、上位分類である韓・魏の意向より、都市レベルの現場の友好・協調関係が結局強いでしょう…商業的利害関係で談合したり、思うに任せない場合は剣で恫喝したりして、都市同士相互不可侵状態を作り出していたこともあったはずです。カネも力もあり美しく華やかで高度な文化を持つ都市群。欲しいけど、晋時代から比べると別の国だけど同じ高い文化を誇る「中原仲間」としては、失われるのは惜しい・壊さず華やかで美しいまま欲しい、交易で共存共栄してるんだからそもそも干戈を交えるのってどうなの…と、上位分類の韓・魏の中央の心情もそのような感じであったはずで、そこをただでさえ独立色の強い都市群に「足元見られる」感じで、なかなか従わせられなかったんだろうと思います。かつて中華ではなく西戎に見られてさえいた西の秦は、惜しくはあるがそれが覇権を取るという目的の前には目をつぶれる、どうせ元々うちの国じゃないし…みたいなところはあったかもしれません。あと、経済的に豊かって言っても、国土の面積、地形、位置からいって、基本的に「貿易」で蓄える富ですよね。自領で産出して売りさばけるものって鉄製武器ぐらいで。これ、やっぱり長引く乱世だと弱いですよね…秦だって本格的な天下統一戦争に入る前に南下して蜀を取って、開発してますもん。戦時糧食を自前調達しきれない構造&逃げ場がない地形は、詰み。
曹操でも冉閔でも拓跋珪でもない、戦国時代の魏。曹操→司馬懿とは逆に、こちらは晋→魏なんですね。しかし「人材の力で魏を強国にしようとした」で「曹操!」と答えてブーッとなるところが目に浮かびます(正解:文候)。それにつけても文候家臣団も曹操時代とそん色なし!ところが一部有力家臣に恨まれて、秦についた彼らによって領土を削られていき、韓と同じく都市の独立性をとうせいできずに滅びていくさまは、老獪な司馬懿の動きを止められなかった曹魏、六鎮の不平北族の不満を買って反乱を起こされて弱体化していく北魏とはまた違った末路となっているんですね。
魏と韓は都市抑えてるから人口が多いとはいえ、趙の北方、楚の南方、秦の西方と巴蜀、斉、燕の海方といった拡大する地が無いのが辛い。
戦国魏の先祖は魏の地を与えられた畢(魏)万であるが、仕えたのは、晋の武公と献(公)です。結局、この国は戦国初期の文侯、武侯の二代は中原の覇者だったが、次世代の恵王が商鞅の能力を見抜けず、抜擢出来なかったのが痛い。しかも、衰退しかけていた魏の軍事力も考えず、王号を称してしまった。三国志の袁術の様なキャラクター。
動画お疲れ様です。中原の国家は、都市国家的な性格が強く出ていますね。魏も西周と同じく、王が機動的に動かせる直轄の強兵を失ったことで現状維持の守勢に追い込まれたように思います。かつ、リアル「ザマぁ小説」よろしく有能な人材に恨まれたのが、敗因なのかと感じます。まさに「情けは味方、仇は敵なり」ですね😂
韓と違って魏は最初期は領土も拡大で来たし、開拓できる地もあったけど、それでも早い段階でそれが頭打ちになってしまった感じですね…。土地がダメなら、すでにできている都市の経済力で勝負しようと遷都までして方針転換したんでしょうけど、結局韓と同じような展開で秦に滅ぼされてしまいましたね…。(韓より時間がかかったのは、初期の頃に領土拡大したおかげもあって、単純に韓より強力な都市が多かったからだと思う。)あと、自国の優秀な人材が他国(しかも敵国)に流失していってしまったのも痛いですね…。魏が初期の頃に覇権国になれたのは、豊富な有能な人材・開拓可能な未開発地・すでに発達している経済的にも軍事的にも充実している都市がうまく揃っていたからだと思いますね。未開発地という一つの要素が欠けた途端、あっという間に転げ落ちましたね…。
「轅を北にして楚に適く。北轅適楚。」(申鑒)なんて話しは、魏にまつわる話しの様ですね。文侯は、人を見抜く見識の高い君主だったんですね。李克も、面白い人物ですよね、元来は儒家(子夏の弟子)なのに、法を重視する施策をするなど、リアリストな面を持つ人物だった気がします。秦が中央集権的な新興国だったのに対して、魏はギリシアの様な成熟した都市国家の様な印象を受けました。お話し面白かったです。長文すみません。
鳥人間 中国史三昧さんの活動を応援します。
ご厚意、ありがたく頂戴いたします……!お心遣い大変励みになっております~!!
Thanks!
ナイスパ
いつもご支援いただき、感謝……圧倒的感謝でございます!とっても嬉Cです~!
李悝はあまり知られてないですが、軍事面の呉起と同じくらい重要な人物ですね。政治面では、「先賢任能」・「賞罰厳明」を唱え、世襲貴族の特権剥奪に務めました。具体的には、封地の統治権はなくされたようですが、徴税権は残されたようで不徹底です。経済面での「尽地力」は、重農政策です。農地の拡大は期待できないので、生産性を上げることを奨励したものです。「平糴法」は、平準法のことで、豊作時に政府が穀物を安く買い上げて蓄え、飢饉時に安価に放出するものです。法律面での「法経」は、盗・賊・網(囚)・捕・雑・具の6編に分かれ、今の刑法と刑事訴訟法に当たります。で、この人なんですが、誤審で無実の人を死刑にしてしまい、遺書を残して自殺してしまいます。法家らしい最後です。
魏は恵王辺りから衰退し始めているような・・・。初期は李克・呉起・楽羊・西門豹がいて文侯の後の武候も勢いがあったのに。なぜ、恵王は商鞅を活用しなかったのか?商鞅だったら魏をもうちょっと延命できたかもしれないのに。
商鞅でも魏の改革は難しかったんじゃないですかね?下手に中央集権化しようとしたら各都市が離反して内戦になりますから呉起でも結局、魏の改革は頓挫してますからねぇ。
魏魏魏動画を8/6にアップしなかったことに良心を感じます。
魏國是戰國時代第一個變法(採用法家思想)的國家,同時魏國也有遠交近攻的策略,比如:結交"越國",用以牽制齊國和楚國。
遠交近攻って中国語と日本語で同じ書き方するんだ
台湾の漢字だから読める、意味わかる。よかった~。中華人民共和国の簡体字だとざっくりとしか意味が取れんのよな。しかし立地的にそうなるのは分かるけど、斉・楚を敵に回して魏・越は国力的にバランスが取れてないな~…。商鞅が冷遇されて出て行ったのは本当だろうけど、「魏あかんわ、未来閉じてるわ、秦のほうがポテンシャルあるわ~文化遅れてる田舎な分だけやりたいようにやれそうやし」と本人もスタコラ見限ったんじゃないかと思ってる。
台湾ニキさんきゅー!
遠交近攻で中華を制覇したのが前秦であって、初めて実施したわけではないのは確かにそうですね。
@@Fanatia確かめたんだったらその通りだろうけど、そうじゃなかったら、大陸からあえて(日本人に分かるように) 繁体字で投稿してくれた可能性もある。中高年世代が簡体字を修正するのは簡単だからね。
現代中国語でWèiと読むのがなんか好きです。ウェーーーィ
おかげさまで話の中で「恵」と名の付く王が現れたら「ああ、きっと残念な王なのね」とある程度察しがつくようになりました。疑問なのは周辺国や同じ三晋の国である趙韓にもケンカを売りに行くなら、どうしてあの魏の領土を分断するかのように食い込んでる部分の韓の領土が取れなかったんでしょう?いやきっと取ろうとはしたんでしょうけど
愚かな恵が付く王といえば西晋の恵帝!
韓に引き続き魏の歴史も面白いです!三晋楽しいですぞ!!それにしても独立後の文侯武侯の諡号の豪華さよ・・・そして王を称したのが恵王。確か『恵』は優しいけどリーダーシップを発揮した政治はちょっとやってないなあ的な君主に贈られた諡号だったと思う。前漢の恵帝みたいな・・・しかし夏王を称する等、なかなかいい感じで統治していたのである・・・・石門の戦いに敗れたのが痛い。やはり戦争は博打と同じでやらない方がいいのかも。魏は韓と異なり東の強国・斉にも隣接しているので、それはやはり厳しい。ただ、韓は楚に隣接し、趙は匈奴(胡?)に接しているので大変なのはどこも同じかな。しょうがないから経済的軍事的に強力な各都市に籠る方向で命脈を保とうとしたのは致し方無いのか・・・。経済力を活かして各城の守備隊以外に王に直属する親衛隊の様な攻撃型の軍を編成し、秦軍の侵攻を機動力を以て迎撃出来たら滅亡を防げたかもしれない。
秦「東方!」魏「やめてくれよ…」
宋だよ(便乗)
辺境で力を蓄えた者は貪欲。経済的に余裕がある者は守りに入る。闘いでは攻撃は最大の防御。こうなるべくしてこうなった感じ。滅ぼされる者の立場で秦を見るとやはり恐ろしいですね。虎狼という言葉には虎や狼の強さ雄々しさを称揚するニュアンスは無い。
ちょうど戦国七勇国のドラマなのか?番組が始まるようなので楽しみにしてます
転生したら晋に乗っ取られ、さらに転生したら分裂して周と斉に乗っ取られた件。いつも一度覇権国にはなるけど結局統一出来ない、それが魏なのよね…。
曹丕&択跋珪「まぁ、私達が復活させるわけですし。」
日本の戦国時代も京周りの細川三好勢力(魏)より少し離れた織田の方(秦)が勝っていったのに似てるような気がしました。
以前、知り合いの社会科教師の方から都市部抑えてる中心の勢力は余裕があって守りに入ったり、勢力内の派閥争いが起き優秀な人材が他方へ流出したりするのに対し、少し離れた所は貪欲に力を付けていくと聞いたことがあります。
横山史記で魏にかかわる事のだいたいが恵王のそっくりさんやな~と思ったらまさか皆同じという。。。公叔座が病に伏した時後任に公孫鞅(商鞅)推薦してきた時、范雎が魏斉の首を要求してきた時、龐涓が孫臏の罠にかかり斉に破れ戦死してしまった時などなど、、、因みに公孫鞅を恵王に推挙仕様とした「公叔座」って昔呉起を追い出そうとした「公叔」と同じ人?
この後の曹魏や北魏に李密の魏国と言い強勢となり 良い所まで行くが 結局天下は取れないところは 共通してるね
魏国!この血の中に魏国があり、曹操がいる!曹洪!曹仁!俺たちは曹孟徳だ!惇兄!約束の盃を上げよう!われらの魏国に!
信陵君も異母兄の安釐王に疑われて一度は趙に出奔し、帰参した後も再度疑われて最終的には酒浸りになって死んだからな・・・。
地形的に積んでるからどうあがいてもいつかは他の国に滅ぼされると思うけど元々国境隣接してる周辺国が多いのにも関わらずやみくもに周辺国と戦争したらいつか疲弊して国が弱体化するだろ
魏「韓がやられたか… ククク、ヤツは戦国七雄でも最弱…」 趙「いや次お前だから」個人的韓に見せ場なしの一番の原因、変な国土の魏。逆にこの形を維持できたのは、都市の独立性と力が強かったってことですね。孫臏にやられるでもなく、いずれ行き詰まったのではないかと。
最初に力持ちすぎて慢心し、人材の流用が滅びの始まりなのに底力で保っていた感じかな。
宋を取り上げて欲しいな。七雄では無いけど。
その魏の王族の末裔が皇帝(魏の王家の血をひく薄姫は漢の高祖の側室となり、文帝を産みます)となり、秦の旧領を支配するのだから世の中何が起きるかわかりませんね
西門豹を輩出しておきながら…
いつか玉や玉器について掘り下げて頂けると嬉しいです。
人材は豊富だよね🥰
魏はどこかのタイミングで韓を併合できていれば飛躍できたかもしれんが
韓は他六国よりも弱いとはいえ、首都の新鄭、宜陽、成皋、滎陽など守りの堅い都市が多かったからですねそれこそ秦のように国政改革して圧倒的な軍事力で一つ一つ攻略しなければ併呑は難しかったでしょうね
中原の人口集中地を国土にしたおかげでスタートダッシュに成功したけどフロンティアを持てなかったので頭打ちになってしまった感せめて韓を併合できていれば
商鞅と孫臏を逃がした挙げ句にこの両人を活用した秦と斉に東西から攻められて二大強国誕生の養分に…魏の没落と秦と田氏斉の強大化までが戦国期の前半部って印象
王賁が魏を滅ぼすところは何年後になるんだろうか....キングダムェ....
魏転落の要因は恵王だな身の程知らずにも王を称し、碌に人材もいないくせにあちこちに喧嘩を売っては敗れ、晩年には斉に服属せざるを得なくなってしまう。諡の通り、しょうもない君主だ。
まぁ、斉に臣従だから国が滅びなかっただけまし。
恵王の前半の力があった時期に韓や趙を滅ぼしとけば秦に対抗できたものを
その都度斉に邪魔されましたからねえ😅
ぶっちゃけ安邑失った後は韓より弱いよね 大梁は別段田舎じゃないけど、安邑:大梁は横浜市:千葉市ぐらい差があると思う
魏の法が秦の法に影響を与えたというのは知らなかった。少なくとも秦の法治主義の下地に魏があったことは、秦の強大化を助長してしまった訳だが、少なくともこれは文化的な伝播とも言えるから些細な問題だろう。やはり商鞅、張儀、范雎などの秦で大活躍する人材をさまざまな経緯で流出させてしまったことが弱体化、滅亡へ繋がったのではなかろうか。
まってた
秦「一緒に魏を・・・ヤラナイカ?」商鞅・范雎「ウホッ、いい提案!!」 魏「14:32 すごく・・・各個撃破されます・・・」
秦「魏よ、お前はもう負けている」魏「ギギギ・・・ウボアァー!!」
西楚「お前はもう死んでいる」秦「」
皆も封地を貰う時は栄えている場所じゃなくて他地域にも進出できる土地を貰おう!辺境地域の方がやっぱり強くならないと負けてしまうから秦や楚のように強くならないといけないんだろうね…大海に通じている斉はまだ興隆できる余地はあるけどね。
軍事シミュレーションゲームの類でもはしっこの勢力から始めたほうがやりやすいアレですな
やっぱり端を取れないと辛いよなあ北から半分抑えたけど乗っ取られた魏も有ったなあ魏があかんのやな
端からとるというと信長の野望戦略ですね
成文法の始まり子産もずっと時代が下がった三国志の法家だった孟徳も孔明も儒家サロンを覆せなかったように春秋戦国もまた法で国を治めることを受け入れられなかった国が滅びたのよね
魏の名臣は何と言っても西門豹ですな彼の逸話は戦国時代の各国の名臣の中で一番好きあと色々言われる惠王も最初の頃は秦を圧倒していたんだよなまあ秦の孝公もこの現状打破の為に魏で軽く扱われていた商鞅を登用した事が没落の大きな原因😅
冒頭のギギギとかwwww
都市国家の集まりの国が勢力争いしてたのが春秋。秦は国の在り方を、中央集権に振り君臣一体で富国強兵に成功。徳治から法治に変わる時期。都市国家の集まりではまとまりなく衰退したが、しっくりくるかな
初めまして!最近このチャンネルを見つけてほぼ全ての動画を拝見させていただきました!鳥人間さんの動画で学生時代より苦手意識の強かった中国史が好きになってきて知見が広がったようで楽しい日々を送れております。感謝です🙇♀️🙇♀️美術や芸術などの文化関連の中国史の動画もいつか見てみたいです!よく中国史にイケメンや美女が出てきますが昔の中国における美男美女はどんな容貌をしていたかなんかも気になります。日本だと奈良美人や平安美人など現在とは違った美女の基準があったように中国でも変遷があったのかなと動画を見ながら気になっておりました。これからも動画の更新を楽しみにしております。日々猛暑が続きますが、ご自愛ください。
魏って国号好きよねぇ中華の国は
先進地帯が本国ということは、軍隊のコスト(人件費)が周辺国より高いってことよね。戦の利益で賄おうにも・・・・・韓鄭宋あたり喰っちゃえばあるいわと思うけど、征服後の統治が大変そうだし・・勝ち筋が見えないw
16分あたりに出てくる地図はシミュレーションゲームだと、勝ちが確定して、作業になってつまらんヤツでは、最初はイカれた仲間を揃えて「韓とは違うのだよ韓とは」という感じだったのに、結局同じような病根で滅んでしまうとは、「ギギギ」のインサートは、「くやしいのう、秦への領土割譲はくやしいのう」というのが浮かんでしまった。
司馬遷「史記魏世家において、魏王假は秦に滅ぼされた後に関しては消息不明である」司馬光「資治通鑑秦紀七、始皇帝二十二年 丙子三月 王賁が魏を討ち大梁を水攻めにして城を壊し、魏王假が降り(王賁が)殺しよって魏は滅亡した」さて、どちらの記述が正しいでしょうか?
「身分を問わず」というのは実はかなりリスキー。この当時の「身分を問わず」は元殺人犯とか元詐欺師とか雇う事だから。
「秦に土地を献じて和を請うても、得た地によって力を増した秦がまた攻めてくるだけです(うろ覚え)」みたいな献言が結果としては大当たりになっちゃったけどじゃあどうすればよかったんだよって言いたくもなる
日本の戦国時代は、簡単に言ったら内戦をして、中国の様に一国家単位の存亡だとスケールが違って来るけど、何故だろ何方もロマンを感じてしまいますね〜🤔🎶
最盛期で80万くらいの動員力があったようです。武卒(重装歩兵)20万備撃(軽装歩兵)20万蒼頭(頭巾を被った軽装の新兵)20万廝徒(工兵、後方勤務、輜重兵)20万戦車600乗騎兵5千匹
それは凄い…あの時代のあの国土で推定80万…そりゃ覇権国な時代があるはずですね…河西地帯をキチンと抑えて秦を叩き潰し切っていたら、滅亡しなくて済んだかもなぁ…
@@文治帝 最後の戦いでも、40万ほど動員して北(趙)からの攻撃に備えてました。王賁の戦力は15万ほどでしたが、軍を二手に分け、一軍を楚領土を侵犯させて魏軍主力を迂回、一気に首都、大梁を包囲しました。大梁の守備兵力は8万ほどでした。
秦は考公も偉大だったが恵文王 、宣太后、昭襄王がその後を決定付けたね。トップに立ったものが優れていた。
出た!リニア・レールガン!
魏というと文公や曹操のイメージで強盛国のイメージがあるが、その末路はどっちも栄光からの転落って感じで物悲しい。韓wwwとか思っててごめんなさい。
ギギギ くやしいのうくやしいのうw
三国志の魏じゃないよ😃
😃
北魏でも西魏でも東魏でもないよ
冉魏でも翟魏でもないよ
😊
劉備「魏とかいう名前がアカンのや」赫連勃勃「ホンマそれ」
曹丕「いやその理屈は可笑しい」択跋珪「そうだそうだ」李密「うんうん」
魏の恵王は、孟子との五十歩百歩の対談でも有名な人ですね他の君主と似たり寄ったり程度の器量だったから魏を衰退させてしまったのか…?
春秋戦国最大の謎は言語と文化では?中世から近代にかけてのラテン語〜フランス語みたいなものがあった?Jや日本代表の外国人監督みたいにスタッフがついてた?
兄弟相克、曹植を認めなった二代目皇帝曹丕、魏は家臣である司馬氏に乗っ取られた。
韓「あ韓、秦に滅ぼされてまう」魏「魏魏魏、秦に滅ぼされてまう」
鄭の二の舞に
龐涓や公子卬が無能な事で崩壊したのかな…
安全地帯がない真ん中の国ってしんどいよな
七雄の周辺には異民族がいるから、全く安全ではないが。斉だけは海だから安全地帯だがな。
ココ全部見てる訳じゃないからやったかも知れんが・・・知?智?氏やってホスイのぜ 漢字好き谷昌光氏や左伝か戦国策の訳文で知伯滅亡時は知ってるんだけど、確か六卿を経て1強3弱位で智氏全盛になった経緯を知りたいというか晋前半の六卿勃興~三卿滅亡史かな?
知伯(知瑶)の祖父の知躒の時代に周の内乱鎮圧などで功績を挙げ、趙鞅と組んで六卿の范氏、中行氏を滅亡させ、趙鞅にも圧力をかけることで一強になったイメージだわ
韓や魏が最弱なら、そいつらに滅ぼされた鄭や宋はなんだってんだ!(怒
『いつみてもキモい国土だわねェ』俺もずっと思ってた(*-ω-)いくら強くても守りきれんよ…
「キャー、息子スープガブガブおじさん楽羊」ギャーの間違いでは😊
魏の出自は畢公高のあと400年ぐらいたって畢万がいきなりでてくるからなぁ。三晋全員にたようなもんだけど、陪臣だと記録に残りにくいですからね。
自国の有能な人材を使いこなせていれば、もう少し延命できたかも知れないですね
滅びるのは知ってるけど若干ネタバレ感があるな…
地球に来たナメック星人がピッコロと神様に分裂し弱くなったように、趙魏韓に分裂せず、晋のままだったら、中国を統一したのは晋だったかも
ア韓かった国笑
こんばんは。サンドリヨン、、ああ。シンデレラか。シャルル・ペロー版が一番馴染み深いですが実は他にも色々あるのは知りませんでした。魏には実際優秀な人材は綺羅星の如くいたけどこれがイタいことに一時だけ使いこなしただけで、後は全然ダメ。そして優秀な人材は四方に(特に秦に)散失しちまって後はご存知の通り。そりゃ衰退しますがな。なんだかなあ。(;´д`)トホホ…あ韓ってww
ヒツマンってなんかいやらしい
霊夢、ちょっと黙れwww
いま、ネットでキングダム72話あたりを読んでいるんだけども(呉慶とひょう公の戦い)始皇帝の頃にこんなに秦と魏が競り合うようなことねえんじゃね?って思うんだよね
ギギギ 👈絶対、はだしのゲン(笑)
なぜ現代史をやらないのか
周王朝を滅ぼさずに天下統一として周王朝を助けるという関係できていれば、日本みたいに天皇家2600年続く様な世界最古の国となっていたでしょうね。
2コメ
1コメ
秦のおやつこと魏ですね。
守るべき国境線が長い内陸国は、周辺諸国との外交関係が重要ですが、魏には一貫した戦略のようなものが感じられませんね。
強かった時に、見境なく周辺国を攻撃して恨みを買ってしまった感じで、その割に他国を滅ぼして吸収した感もないですね。
結果論で言うなら、他の周辺国と友好関係を保ちつつ、敵を秦一国に定めて西を取ってしまえば、天下は魏のものだったかも。
優れた人材の流出も痛かったですが、これも偶然と言うより、優れた人物を登用できなかった国のシステムの問題だったんでしょう。
アッシリア帝国は重税や圧政はもちろんの事、一番は強制移住により支配民や周辺国から反感どころか強い怨みを買い、結果的に新バビロニア率いる反アッシリア連合軍に滅ばされてしまいます。後のハプスブルク家同様典型的な力だけの支配ですね。
正当性もないのに雑にウクライナに侵略して逆にNATO加盟国が増えたロシアみたい
魏は呉起、商鞅、范雎と有能な人材を他国に流出させるというミスもしているからなあ……
なお名君の文侯も讒言を信じて西門豹が辞任してしまうという😭
武侯も同じように呉起が😭
負けた側は何もかも失敗したことにされる
秦は辺境国なので他国の人間への警戒心は強そうなのに何度も他国出身者を宰相にして成功しているのは、君主が有能だっただけでなく君主のトップダウンで決定できる国だということも示している。
そのため比較的中央集権的な改革を実行しやすかった秦に対して、魏のように地方の自主性が強い国ではたとえ重用されても商鞅のような政策は成功しなかったかもしれない
やっぱ魏の恵王いいよなぁ…この野望と資質が全く釣り合わないが故に敗北を運命付けられてるにもかかわらず、野望の成就を目指さずにはいられない感じがたまらん、ジョン王(内政除く)かよ
今回も面白かったです!
魏と楚はポテンシャルはあるのに名臣を扱い切れなかった残念国家というイメージがあるなあ。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、有り難きことこの上ありませぬ!
ご厚意痛み入ります!!!
開発の進んだ地域を領有し人口でも生産力でも人材でも他国を圧倒した魏。ただこれは逆に言えば周辺諸国と比べて伸びしろが少ないという事でもあります。加えて周囲を他国に囲まれ全方位に脅威を抱える事にもなっています。実際趙や斉、楚が発展したり軍制改革を実現して来ると一気に守勢に追い込まれています。
魏恵王「ねぇねぇ?斉王ちゃんはどんなお宝持ってんの〜??」
斉威王「いや自分はそんな大層なもの持ってないですよ」
魏恵王「またまた謙遜しちゃって〜。ボクですらマイカー12台を照らせちゃう宝石持ってるんだから天下の斉王サマならなんかあるでしょ〜?」
斉威王「どうやら貴方と私の考える宝物は違うみたいですね…。そこにいる私の家臣を御覧なさい。彼らの能力は千里を照らします。ましてやマイカー12台程度など」
魏恵王「……(赤面)」
ホントこの逸話好き
魏には旅行好き、国際派な人材が豊富だったんだなぁ。(帰郷するとは言っていない)
変なかたちの魏。
平面地図を見てるとわかりにくいですが、地形もわかる地図(色分けされた地図帳や、ちょっと良い立体的な地球儀など)で見ると理解が早い。
天然の要害と言いますか…山脈や河、盆地などであの奇妙な形に出来上がっていますね。
もちろん武力に物を言わせれば制覇できなくもないですが、韓も魏も都市国家群が武力も経済力も持っていたということは、上位分類である韓・魏の意向より、都市レベルの現場の友好・協調関係が結局強いでしょう…商業的利害関係で談合したり、思うに任せない場合は剣で恫喝したりして、都市同士相互不可侵状態を作り出していたこともあったはずです。
カネも力もあり美しく華やかで高度な文化を持つ都市群。欲しいけど、晋時代から比べると別の国だけど同じ高い文化を誇る「中原仲間」としては、失われるのは惜しい・壊さず華やかで美しいまま欲しい、交易で共存共栄してるんだからそもそも干戈を交えるのってどうなの…と、上位分類の韓・魏の中央の心情もそのような感じであったはずで、そこをただでさえ独立色の強い都市群に「足元見られる」感じで、なかなか従わせられなかったんだろうと思います。
かつて中華ではなく西戎に見られてさえいた西の秦は、惜しくはあるがそれが覇権を取るという目的の前には目をつぶれる、どうせ元々うちの国じゃないし…みたいなところはあったかもしれません。
あと、経済的に豊かって言っても、国土の面積、地形、位置からいって、基本的に「貿易」で蓄える富ですよね。自領で産出して売りさばけるものって鉄製武器ぐらいで。これ、やっぱり長引く乱世だと弱いですよね…秦だって本格的な天下統一戦争に入る前に南下して蜀を取って、開発してますもん。戦時糧食を自前調達しきれない構造&逃げ場がない地形は、詰み。
曹操でも冉閔でも拓跋珪でもない、戦国時代の魏。曹操→司馬懿とは逆に、こちらは晋→魏なんですね。しかし「人材の力で魏を強国にしようとした」で「曹操!」と答えてブーッとなるところが目に浮かびます(正解:文候)。それにつけても文候家臣団も曹操時代とそん色なし!ところが一部有力家臣に恨まれて、秦についた彼らによって領土を削られていき、韓と同じく都市の独立性をとうせいできずに滅びていくさまは、老獪な司馬懿の動きを止められなかった曹魏、六鎮の不平北族の不満を買って反乱を起こされて弱体化していく北魏とはまた違った末路となっているんですね。
魏と韓は都市抑えてるから人口が多いとはいえ、趙の北方、楚の南方、秦の西方と巴蜀、斉、燕の海方といった拡大する地が無いのが辛い。
戦国魏の先祖は魏の地を与えられた畢(魏)万であるが、仕えたのは、晋の武公と献(公)です。
結局、この国は戦国初期の文侯、武侯の二代は中原の覇者だったが、次世代の恵王が商鞅の能力を見抜けず、抜擢出来なかったのが痛い。しかも、衰退しかけていた魏の軍事力も考えず、王号を称してしまった。三国志の袁術の様なキャラクター。
動画お疲れ様です。中原の国家は、都市国家的な性格が強く出ていますね。魏も西周と同じく、王が機動的に動かせる直轄の強兵を失ったことで現状維持の守勢に追い込まれたように思います。かつ、リアル「ザマぁ小説」よろしく有能な人材に恨まれたのが、敗因なのかと感じます。まさに「情けは味方、仇は敵なり」ですね😂
韓と違って魏は最初期は領土も拡大で来たし、開拓できる地もあったけど、それでも早い段階でそれが頭打ちになってしまった感じですね…。土地がダメなら、すでにできている都市の経済力で勝負しようと遷都までして方針転換したんでしょうけど、結局韓と同じような展開で秦に滅ぼされてしまいましたね…。(韓より時間がかかったのは、初期の頃に領土拡大したおかげもあって、単純に韓より強力な都市が多かったからだと思う。)あと、自国の優秀な人材が他国(しかも敵国)に流失していってしまったのも痛いですね…。
魏が初期の頃に覇権国になれたのは、豊富な有能な人材・開拓可能な未開発地・すでに発達している経済的にも軍事的にも充実している都市がうまく揃っていたからだと思いますね。未開発地という一つの要素が欠けた途端、あっという間に転げ落ちましたね…。
「轅を北にして楚に適く。北轅適楚。」(申鑒)なんて話しは、魏にまつわる話しの様ですね。文侯は、人を見抜く見識の高い君主だったんですね。李克も、面白い人物ですよね、元来は儒家(子夏の弟子)なのに、法を重視する施策をするなど、リアリストな面を持つ人物だった気がします。秦が中央集権的な新興国だったのに対して、魏はギリシアの様な成熟した都市国家の様な印象を受けました。お話し面白かったです。長文すみません。
鳥人間 中国史三昧さんの活動を応援します。
ご厚意、ありがたく頂戴いたします……!
お心遣い大変励みになっております~!!
Thanks!
ナイスパ
いつもご支援いただき、感謝……圧倒的感謝でございます!
とっても嬉Cです~!
李悝はあまり知られてないですが、軍事面の呉起と同じくらい重要な人物ですね。
政治面では、「先賢任能」・「賞罰厳明」を唱え、世襲貴族の特権剥奪に務めました。具体的には、封地の統治権はなくされたようですが、徴税権は残されたようで不徹底です。
経済面での「尽地力」は、重農政策です。農地の拡大は期待できないので、生産性を上げることを奨励したものです。「平糴法」は、平準法のことで、豊作時に政府が穀物を安く買い上げて蓄え、飢饉時に安価に放出するものです。
法律面での「法経」は、盗・賊・網(囚)・捕・雑・具の6編に分かれ、今の刑法と刑事訴訟法に当たります。
で、この人なんですが、誤審で無実の人を死刑にしてしまい、遺書を残して自殺してしまいます。法家らしい最後です。
魏は恵王辺りから衰退し始めているような・・・。
初期は李克・呉起・楽羊・西門豹がいて文侯の後の武候も勢いがあったのに。
なぜ、恵王は商鞅を活用しなかったのか?商鞅だったら魏をもうちょっと延命できたかもしれないのに。
商鞅でも魏の改革は難しかったんじゃないですかね?下手に中央集権化しようとしたら各都市が離反して内戦になりますから
呉起でも結局、魏の改革は頓挫してますからねぇ。
魏魏魏動画を8/6にアップしなかったことに良心を感じます。
魏國是戰國時代第一個變法(採用法家思想)的國家,同時魏國也有遠交近攻的策略,比如:結交"越國",用以牽制齊國和楚國。
遠交近攻って中国語と日本語で同じ書き方するんだ
台湾の漢字だから読める、意味わかる。よかった~。
中華人民共和国の簡体字だとざっくりとしか意味が取れんのよな。
しかし立地的にそうなるのは分かるけど、斉・楚を敵に回して魏・越は国力的にバランスが取れてないな~…。
商鞅が冷遇されて出て行ったのは本当だろうけど、「魏あかんわ、未来閉じてるわ、秦のほうがポテンシャルあるわ~文化遅れてる田舎な分だけやりたいようにやれそうやし」と本人もスタコラ見限ったんじゃないかと思ってる。
台湾ニキさんきゅー!
遠交近攻で中華を制覇したのが前秦であって、初めて実施したわけではないのは確かにそうですね。
@@Fanatia確かめたんだったらその通りだろうけど、そうじゃなかったら、大陸からあえて(日本人に分かるように) 繁体字で投稿してくれた可能性もある。中高年世代が簡体字を修正するのは簡単だからね。
現代中国語でWèiと読むのがなんか好きです。ウェーーーィ
おかげさまで話の中で「恵」と名の付く王が現れたら「ああ、きっと残念な王なのね」とある程度察しがつくようになりました。
疑問なのは周辺国や同じ三晋の国である趙韓にもケンカを売りに行くなら、どうしてあの魏の領土を分断するかのように食い込んでる部分の韓の領土が取れなかったんでしょう?
いやきっと取ろうとはしたんでしょうけど
愚かな恵が付く王といえば西晋の恵帝!
韓に引き続き魏の歴史も面白いです!
三晋楽しいですぞ!!
それにしても独立後の文侯武侯の諡号の豪華さよ・・・そして王を称したのが恵王。
確か『恵』は優しいけどリーダーシップを発揮した政治はちょっとやってないなあ的な君主に贈られた諡号だったと思う。
前漢の恵帝みたいな・・・
しかし夏王を称する等、なかなかいい感じで統治していたのである・・・・石門の戦いに敗れたのが痛い。
やはり戦争は博打と同じでやらない方がいいのかも。
魏は韓と異なり東の強国・斉にも隣接しているので、それはやはり厳しい。
ただ、韓は楚に隣接し、趙は匈奴(胡?)に接しているので大変なのはどこも同じかな。
しょうがないから経済的軍事的に強力な各都市に籠る方向で命脈を保とうとしたのは致し方無いのか・・・。
経済力を活かして各城の守備隊以外に王に直属する親衛隊の様な攻撃型の軍を編成し、
秦軍の侵攻を機動力を以て迎撃出来たら滅亡を防げたかもしれない。
秦「東方!」
魏「やめてくれよ…」
宋だよ(便乗)
辺境で力を蓄えた者は貪欲。経済的に余裕がある者は守りに入る。闘いでは攻撃は最大の防御。こうなるべくしてこうなった感じ。
滅ぼされる者の立場で秦を見るとやはり恐ろしいですね。虎狼という言葉には虎や狼の強さ雄々しさを称揚するニュアンスは無い。
ちょうど戦国七勇国のドラマなのか?番組が始まるようなので楽しみにしてます
転生したら晋に乗っ取られ、さらに転生したら分裂して周と斉に乗っ取られた件。
いつも一度覇権国にはなるけど結局統一出来ない、それが魏なのよね…。
曹丕&択跋珪「まぁ、私達が復活させるわけですし。」
日本の戦国時代も京周りの細川三好勢力(魏)より少し離れた織田の方(秦)が勝っていったのに似てるような気がしました。
以前、知り合いの社会科教師の方から都市部抑えてる中心の勢力は余裕があって守りに入ったり、勢力内の派閥争いが起き優秀な人材が他方へ流出したりするのに対し、少し離れた所は貪欲に力を付けていくと聞いたことがあります。
横山史記で魏にかかわる事のだいたいが恵王のそっくりさんやな~と思ったらまさか皆同じという。。。
公叔座が病に伏した時後任に公孫鞅(商鞅)推薦してきた時、范雎が魏斉の首を要求してきた時、龐涓が孫臏の罠にかかり斉に破れ戦死してしまった時などなど、、、
因みに公孫鞅を恵王に推挙仕様とした「公叔座」って昔呉起を追い出そうとした「公叔」と同じ人?
この後の曹魏や北魏に李密の魏国と言い強勢となり 良い所まで行くが 結局
天下は取れないところは 共通してるね
魏国!この血の中に魏国があり、曹操がいる!
曹洪!曹仁!俺たちは曹孟徳だ!
惇兄!約束の盃を上げよう!
われらの魏国に!
信陵君も異母兄の安釐王に疑われて一度は趙に出奔し、帰参した後も再度疑われて最終的には酒浸りになって死んだからな・・・。
地形的に積んでるからどうあがいても
いつかは他の国に滅ぼされると思うけど元々国境隣接してる周辺国が多いのにも関わらずやみくもに周辺国と戦争
したらいつか疲弊して国が弱体化するだろ
魏「韓がやられたか… ククク、ヤツは戦国七雄でも最弱…」 趙「いや次お前だから」
個人的韓に見せ場なしの一番の原因、変な国土の魏。
逆にこの形を維持できたのは、都市の独立性と力が強かったってことですね。
孫臏にやられるでもなく、いずれ行き詰まったのではないかと。
最初に力持ちすぎて慢心し、人材の流用が滅びの始まりなのに底力で保っていた感じかな。
宋を取り上げて欲しいな。七雄では無いけど。
その魏の王族の末裔が皇帝(魏の王家の血をひく薄姫は漢の高祖の側室となり、文帝を産みます)となり、
秦の旧領を支配するのだから世の中何が起きるかわかりませんね
西門豹を輩出しておきながら…
いつか玉や玉器について掘り下げて頂けると嬉しいです。
人材は豊富だよね🥰
魏はどこかのタイミングで韓を併合できていれば飛躍できたかもしれんが
韓は他六国よりも弱いとはいえ、首都の新鄭、宜陽、成皋、滎陽など守りの堅い都市が多かったからですね
それこそ秦のように国政改革して圧倒的な軍事力で一つ一つ攻略しなければ併呑は難しかったでしょうね
中原の人口集中地を国土にしたおかげでスタートダッシュに成功したけど
フロンティアを持てなかったので頭打ちになってしまった感
せめて韓を併合できていれば
商鞅と孫臏を逃がした挙げ句にこの両人を活用した秦と斉に東西から攻められて二大強国誕生の養分に…
魏の没落と秦と田氏斉の強大化までが戦国期の前半部って印象
王賁が魏を滅ぼすところは何年後になるんだろうか....キングダムェ....
魏転落の要因は恵王だな
身の程知らずにも王を称し、碌に人材もいないくせにあちこちに喧嘩を売っては敗れ、晩年には斉に服属せざるを得なくなってしまう。諡の通り、しょうもない君主だ。
まぁ、斉に臣従だから国が滅びなかっただけまし。
恵王の前半の力があった時期に韓や趙を滅ぼしとけば秦に対抗できたものを
その都度斉に邪魔されましたからねえ😅
ぶっちゃけ安邑失った後は韓より弱いよね
大梁は別段田舎じゃないけど、安邑:大梁は横浜市:千葉市ぐらい差があると思う
魏の法が秦の法に影響を与えたというのは知らなかった。
少なくとも秦の法治主義の下地に魏があったことは、秦の強大化を助長してしまった訳だが、少なくともこれは文化的な伝播とも言えるから些細な問題だろう。
やはり商鞅、張儀、范雎などの秦で大活躍する人材をさまざまな経緯で流出させてしまったことが弱体化、滅亡へ繋がったのではなかろうか。
まってた
秦「一緒に魏を・・・ヤラナイカ?」
商鞅・范雎「ウホッ、いい提案!!」
魏「14:32 すごく・・・各個撃破されます・・・」
秦「魏よ、お前はもう負けている」
魏「ギギギ・・・ウボアァー!!」
西楚「お前はもう死んでいる」
秦「」
皆も封地を貰う時は栄えている場所じゃなくて他地域にも進出できる土地を貰おう!
辺境地域の方がやっぱり強くならないと負けてしまうから秦や楚のように強くならないといけないんだろうね…
大海に通じている斉はまだ興隆できる余地はあるけどね。
軍事シミュレーションゲームの類でも
はしっこの勢力から始めたほうがやりやすいアレですな
やっぱり端を取れないと辛いよなあ
北から半分抑えたけど乗っ取られた魏も有ったなあ
魏があかんのやな
端からとるというと信長の野望戦略ですね
成文法の始まり子産もずっと時代が下がった三国志の法家だった孟徳も孔明も儒家サロンを覆せなかったように春秋戦国もまた法で国を治めることを受け入れられなかった国が滅びたのよね
魏の名臣は何と言っても西門豹ですな
彼の逸話は戦国時代の各国の名臣の中で一番好き
あと色々言われる惠王も最初の頃は秦を圧倒していたんだよな
まあ秦の孝公もこの現状打破の為に魏で軽く扱われていた商鞅を登用した事が没落の大きな原因😅
冒頭のギギギとかwwww
都市国家の集まりの国が勢力争いしてたのが春秋。秦は国の在り方を、中央集権に振り君臣一体で富国強兵に成功。徳治から法治に変わる時期。都市国家の集まりではまとまりなく衰退したが、しっくりくるかな
初めまして!
最近このチャンネルを見つけてほぼ全ての動画を拝見させていただきました!
鳥人間さんの動画で学生時代より苦手意識の強かった中国史が好きになってきて知見が広がったようで楽しい日々を送れております。
感謝です🙇♀️🙇♀️
美術や芸術などの文化関連の中国史の動画もいつか見てみたいです!
よく中国史にイケメンや美女が出てきますが昔の中国における美男美女はどんな容貌をしていたかなんかも気になります。
日本だと奈良美人や平安美人など現在とは違った美女の基準があったように中国でも変遷があったのかなと動画を見ながら気になっておりました。
これからも動画の更新を楽しみにしております。
日々猛暑が続きますが、ご自愛ください。
魏って国号好きよねぇ中華の国は
先進地帯が本国ということは、軍隊のコスト(人件費)が周辺国より高いってことよね。
戦の利益で賄おうにも・・・・・
韓鄭宋あたり喰っちゃえばあるいわと思うけど、征服後の統治が大変そうだし・・
勝ち筋が見えないw
16分あたりに出てくる地図はシミュレーションゲームだと、勝ちが確定して、作業になってつまらんヤツでは、最初はイカれた仲間を揃えて「韓とは違うのだよ韓とは」という感じだったのに、結局同じような病根で滅んでしまうとは、「ギギギ」のインサートは、「くやしいのう、秦への領土割譲はくやしいのう」というのが浮かんでしまった。
司馬遷「史記魏世家において、魏王假は秦に滅ぼされた後に関しては消息不明である」
司馬光「資治通鑑秦紀七、始皇帝二十二年 丙子三月 王賁が魏を討ち大梁を水攻めにして城を壊し、魏王假が降り(王賁が)殺しよって魏は滅亡した」
さて、どちらの記述が正しいでしょうか?
「身分を問わず」というのは実はかなりリスキー。
この当時の「身分を問わず」は元殺人犯とか元詐欺師とか雇う事だから。
「秦に土地を献じて和を請うても、得た地によって力を増した秦がまた攻めてくるだけです(うろ覚え)」
みたいな献言が結果としては大当たりになっちゃったけど
じゃあどうすればよかったんだよって言いたくもなる
日本の戦国時代は、簡単に言ったら内戦をして、中国の様に一国家単位の存亡だとスケールが違って来るけど、何故だろ何方もロマンを感じてしまいますね〜🤔🎶
最盛期で80万くらいの動員力があったようです。
武卒(重装歩兵)20万
備撃(軽装歩兵)20万
蒼頭(頭巾を被った軽装の新兵)20万
廝徒(工兵、後方勤務、輜重兵)20万
戦車600乗
騎兵5千匹
それは凄い…あの時代のあの国土で推定80万…そりゃ覇権国な時代があるはずですね…
河西地帯をキチンと抑えて秦を叩き潰し切っていたら、滅亡しなくて済んだかもなぁ…
@@文治帝 最後の戦いでも、40万ほど動員して北(趙)からの攻撃に備えてました。王賁の戦力は15万ほどでしたが、軍を二手に分け、一軍を楚領土を侵犯させて魏軍主力を迂回、一気に首都、大梁を包囲しました。大梁の守備兵力は8万ほどでした。
秦は考公も偉大だったが恵文王 、宣太后、昭襄王がその後を決定付けたね。
トップに立ったものが優れていた。
出た!リニア・レールガン!
魏というと文公や曹操のイメージで強盛国のイメージがあるが、その末路はどっちも栄光からの転落って感じで物悲しい。韓wwwとか思っててごめんなさい。
ギギギ くやしいのうくやしいのうw
三国志の魏じゃないよ😃
😃
😃
北魏でも西魏でも東魏でもないよ
冉魏でも翟魏でもないよ
😊
劉備「魏とかいう名前がアカンのや」
赫連勃勃「ホンマそれ」
曹丕「いやその理屈は可笑しい」
択跋珪「そうだそうだ」
李密「うんうん」
魏の恵王は、孟子との五十歩百歩の対談でも有名な人ですね
他の君主と似たり寄ったり程度の器量だったから魏を衰退させてしまったのか…?
春秋戦国最大の謎は
言語と文化では?中世から近代にかけてのラテン語〜フランス語みたいなものがあった?Jや日本代表の外国人監督みたいにスタッフがついてた?
兄弟相克、曹植を認めなった二代目皇帝曹丕、魏は家臣である司馬氏に乗っ取られた。
韓「あ韓、秦に滅ぼされてまう」
魏「魏魏魏、秦に滅ぼされてまう」
鄭の二の舞に
龐涓や公子卬が無能な事で崩壊したのかな…
安全地帯がない真ん中の国ってしんどいよな
七雄の周辺には異民族がいるから、全く安全ではないが。斉だけは海だから安全地帯だがな。
ココ全部見てる訳じゃないからやったかも知れんが・・・
知?智?氏やってホスイのぜ 漢字好き谷昌光氏や左伝か戦国策の訳文で知伯滅亡時は
知ってるんだけど、確か六卿を経て1強3弱位で智氏全盛になった経緯を知りたい
というか晋前半の六卿勃興~三卿滅亡史かな?
知伯(知瑶)の祖父の知躒の時代に周の内乱鎮圧などで功績を挙げ、趙鞅と組んで六卿の范氏、中行氏を滅亡させ、趙鞅にも圧力をかけることで一強になったイメージだわ
韓や魏が最弱なら、そいつらに滅ぼされた鄭や宋はなんだってんだ!(怒
『いつみてもキモい国土だわねェ』
俺もずっと思ってた(*-ω-)
いくら強くても守りきれんよ…
「キャー、息子スープガブガブおじさん楽羊」ギャーの間違いでは😊
魏の出自は畢公高のあと400年ぐらいたって畢万がいきなりでてくるからなぁ。
三晋全員にたようなもんだけど、陪臣だと記録に残りにくいですからね。
自国の有能な人材を使いこなせていれば、もう少し延命できたかも知れないですね
滅びるのは知ってるけど若干ネタバレ感があるな…
地球に来たナメック星人がピッコロと神様に分裂し弱くなったように、趙魏韓に分裂せず、晋のままだったら、中国を統一したのは晋だったかも
ア韓かった国笑
こんばんは。サンドリヨン、、ああ。シンデレラか。シャルル・ペロー版が一番馴染み深いですが実は他にも色々あるのは知りませんでした。
魏には実際優秀な人材は綺羅星の如くいたけどこれがイタいことに一時だけ使いこなしただけで、後は全然ダメ。
そして優秀な人材は四方に(特に秦に)散失しちまって後はご存知の通り。そりゃ衰退しますがな。なんだかなあ。(;´д`)トホホ…
あ韓ってww
ヒツマンってなんかいやらしい
霊夢、ちょっと黙れwww
いま、ネットでキングダム72話あたりを読んでいるんだけども(呉慶とひょう公の戦い)始皇帝の頃にこんなに秦と魏が競り合うようなことねえんじゃね?って思うんだよね
ギギギ 👈絶対、はだしのゲン(笑)
なぜ現代史をやらないのか
周王朝を滅ぼさずに天下統一として周王朝を助けるという関係できていれば、日本みたいに天皇家2600年続く様な世界最古の国となっていたでしょうね。
2コメ
1コメ
秦のおやつこと魏ですね。